たきおの たきおによる たきおのためのブログ

30を越えたので、自分を見つめ直すのです。

「お客さん本意すぎる」という注意

世の中理不尽で納得いかないことがたくさんある。それをどう消化するのか、いっそ真っ向からぶつかるのか、はたまたさらっといなすのか。このモヤモヤを糧にするのか塵とするのか。

 

「あなたはお客さんのこと考えすぎている。」

会社でこんな注意を受けた。もちろん、自慢じゃない。別に見ず知らずの人に真心込めたおもてなしをするつもりはない。少しこちらが無理すれば、お客さんの要望を叶えられる状況だったからYESと言った。クレーマーに押し切られたわけではない。特別扱いした訳でもない。そのときにとれる策があったからとっただけだ

 

特別扱い…?

皆さんに平等にするのも大事なことだと、上司は教えてくれた。お客さんのためを思うその気持ちは素敵なことだけど、と僕を傷つけないように枕詞付きで言葉を選びながら。そんなことは分かっている。僕はその客を特別扱いした気は全くない。特別扱いしたのではなく、特別な状況だから特別な対応をするしかなかっただけだ。イレギュラーなときはレギュラーな対応では解決しないからイレギュラーなんだ。よくある状況なのに、誰かを優遇したわけではない。そもそもお客さんの要望なんてケースバイケース。柔軟に対応していいじゃないか。

 

判断の基準=コスパ

今回はこちらが少し汗をかくだけで、相手に大きな利益を与えられる状況だった。逆に言うと、そこで突っぱねたら相手は大きな不便を負う。それなら、その汗はものすごくコスパのいいもので、価値があると思った。僕の少しの負担増が相手の益を0から100に押し上げるなんて、何というコスパ

…もっとも、NOと言ったところで、じゃあどうすれば?と次の質問(仕事)が降ってくる。そうしたら相手の望まない案を提示するか、諦めてくださいと、より言いにくいことを言うはめになる。やっぱりナイスコスパ

 

「いつもそんなことやっていないから。」

「いつもそんなことやっていないから。」「そこまでやってあげる必要ないから。」「相手が無理言ってるだけだから。」先輩はそんな理由を並べて僕を諭した。確かに普通はしないことをした。僕だって面倒はごめんだ。ただ、目の前の人が喜ぶか困るか、その決定権が自分にあるのなら、喜ぶ方を選ぶのが礼儀じゃないか?少なくとも置かれた状況で相手の希望を叶える方法をとるのが、礼儀だと思うし、間違っていないと思う。この価値観はずっと持ち続けたい。

 

お人好しなのではない。怒られるのが恐いのだ。

角度を変えて見てみると、見ず知らずの人に怒られたくないという恐怖から、保身のために「自分が苦労すれば丸く収まるでしょ」という発想から無理を受けてしまったんだと思う。相手の要望を叶えられないという「失敗」を受け入れられなかった。完璧主義がここでも悪さをした。

 

~今日の教訓~

困ったら「いやー、正直難しいです…ちょっと何か策がないか、上の者と相談してみます。」と言って親身アピールをしつつ、勝手な判断で暴走することを防ぎ、あわよくば本当に代替案があればなお良しなパーフェクトな作戦。