たきおの たきおによる たきおのためのブログ

30を越えたので、自分を見つめ直すのです。

失敗を糧に成長するには多くの犠牲がいるじゃん

今日は仕事でやらかした。というか前にやらかしていたとでも言おうか。着任したての頃の全然分かっていないときの時限爆弾が爆発した。

新任者しか知らない業務という恐怖

僕は「メインではないけど一定数ある」そんなケースの担当をしている。常に担当者は課に一人なので、他の誰も分からない業務だ。もちろん新任の僕も分からない。

 

マニュアルには登録時の基本パターンの概念は載っている。しかし、そこから変更があったり、削除するときの考え方や手順は全く記載がない。Q&A見ても「ケースバイケース」とか「協議の上」とか「相談して」とか見放された気持ちでいっぱいになる指示が連なる。

 

不在時に限って

今日は午前外出で午後は休みを取るつもりだった。そんな日の午前、相手先から「あれどうなった?」と電話があったらしい。異動早々の案件で、今言われてみれば報告すべきだったと思う。でもマニュアルも無く件数も少なく、それでいてケースバイケースで対応が変わる業務を、異動早々に細部まで体系立てて理解して実行するのは些か無理があるのでは?と言い訳がましく思う。

なぜこの業務は2年目以降の基本が分かっている人が担当する仕組みになっていないのだろう。基本知る前になぜ少数の特別案件の対応をさせられたのだろう。

 

失敗は成功の…

失敗は成功の基、成功の母とよく言ったものだ。僕はそれこそケースバイケースだっと思う。なぜなら、その失敗の数だけ犠牲になった相手がいる。本当の母は裏で被害を受けた人その人だと思う。

 

今回もかなーりのレアケースで次いつ同じケースに遭遇するか分からないが、きっと初回には必ずミスしていただろう。それがたまたま異動直後で気付ける可能性が限り低かっただけだろう。そんなケースがまさにケースバイケースでぽっと発生する。発生しては何かをミスって犠牲者が出る。同じミスを繰り返さなければ、一応は成長しているといういい話になるんだが、犠牲に害を被った方のこと思うと、謝っても謝り切れない。客、他社、上司、いろんな人にしわ寄せや尻ぬぐい、ましてや実害を与えている。

 

学生のころは飲食店でバイトしていた。ミスすることもあった。それでもリカバーできたり、謝って済むものだったり、最悪お客さんを怒らせてもそれが大きな損害を与えたとは言えなかったと思う。所詮飯1回の話だ。(もちろん飯1回だって大事なその日の思い出だけどね。)極端だけど、医療現場でミスって「失敗は成功の母だから失敗を恐れずどんどんトライしよう」となったら僕は嫌だ。ガチの犠牲にはなりたくない。

 

僕の職場も、お客さんの人生を左右しかねない業務だ。命までは影響しないと思うが、オーダーミスられて気分悪くなったというレベルではない。そのような業務でマニュアルや周りのサポートもなく、当たって砕けろでやっているのって、やばいよね。

 

じゃあ次どうするか

尊い犠牲を無駄にしないために、同じミスは繰り返さない。これ当たり前。

マニュアルを作る。これも当たり前。

やはり業務の基本、制度の仕組みを理解して、自発的に何が必要か感づけるようになるのが理想だ。めちゃくちゃふわってしているよくない目標例みたいだが。

 

違和感を受け止める力

これはしがない経験則だが、直感的におやっとかあれってなったときの違和感を大事にすべきだと思う。そこで立ち止まって確認するか、流すかでやけどの確率が段違いになる。散々勉強したり経験したりして力を付けた先に手に入れるのは、このアンテナの感度だと思う。違和感に仕事してもらうこと、違和感を重要なシグナルだと受け取れる感度を持つこと、この2段階の一瞬の感覚を自覚できるようになって初めて、業務を理解できたと言えると思う。

もちろん、僕はまだ違和感がしていないがね。

 

今日は暑いがいい夜に違いない

せっかくの金曜だ。このまま引きずってもよくないから、知らない方向にあてもなくチャリで駆けようと思う。夜の街は気持ちがいいからね。